ベイズ問題の考え方(前編)

togetter.com

この問題を例に考える。
一応こっちに書き出してみる。細かい文言は修正しています。

  仲の良い女性5人、男性3人の合わせて8人が旅をしている。夕刻に和風旅館に到着し、女性2人のグループが二つ、男性2人のグループが一つ、男性、女性1人づつのグループが一つの、合わせて四つのグループに分かれて四つの部屋に入った。なお、この時点では旅館の係員はどの人がどの部屋に入っているかは把握していないものとする。
  一息ついた頃、旅館の係員が無作為に一つの部屋を選んでドアをノックしたところ、中から女性の声で「誰かが訪ねてきたようだけど、いま手が離せないのであなたが開けてあげて」と話しているのが聞こえた。このとき、部屋のドアを開けるのが男性である確率を求めよ。

まず大前提として、すべての確率の問題は、起こりうるすべてのパターンの数(教科書だと「場合の数」だっけ)を分母に、求めたい特定の事象が起こるパターンの数を分子にした、分数の形にすれば解ける。
こうして文章にするとややこしいが、単純な話だ。
サイコロを例にする。

サイコロを一回振って1が出る確率は?

サイコロを一回振ったときに起こりうるすべてのパターンは

  • 1が出る
  • 2が出る
  • 3が出る
  • 4が出る
  • 5が出る
  • 6が出る

この6パターンなので、分母は6。
その中で1は「1が出る」の1パターン。分子は1。
答えは 1/6 。
小学校の算数レベルの基礎だが、これはベイズ問題でも揺らがない大原則なので、しっかり頭に刻んでもらいたい。

さて、件の問題に移る。
判りやすく図にしてみよう。
八人の男女が、二人で一つのペアを作って、四つの部屋に分かれて入ったということなので

部屋 A 女, 女
部屋 B 女, 女
部屋 C 女, 男
部屋 D 男, 男

という構成だろう。
まず女性の声が聞こえたので、男性二人の部屋 D の可能性は除外する。
残りの女性5人を E, F, G, H, I, 男性を Z とする。
すなわち、先の図を書き換えるとこうだ。

部屋 A E, F
部屋 B G, H
部屋 C I, Z

ここで、女性が同室者に声をかける全パターンを数え上げる。

  • E → F
  • F → E
  • G → H
  • H → G
  • I → Z

この5パターンが起こりうる全パターンなので分母は5。
その中で声をかけた相手が男性なのは I → Z の一つ。分子は1。
答えは 1/5 。

難しく考えなくても、サイコロのときと同じ単純な考え方で一歩一歩、思考を進めるだけで解けるのだ。

さて、この問題では「答えは 1/5 ではない。1/3 だ」と主張する人がよく出てくる。
ブックマークコメント欄にも納得できないと言ってる人がいた。
そういう人にも納得してもらえるだろう議論を考えたので……

と続けようと思ったけど、話が長くなったので、続きは次回以降の記事で!

ジェンダー・バイアス

一昨日にテレビで、海外の事件をミステリー風に紹介する番組をやってた。

くだんの事件は米国で発生したもの。

 

美人の母親と娘が行方不明になり、後に子供の遺体が発見された。

通報者は父親。

 

父親は、愛人がいるだの、娘も母親もオマエが殺したんだろうだのと、根も葉もない噂を流されたらしい。

親のジェンダーを反転して

 

父親と娘が行方不明になり、後に子供の遺体が発見された。

通報者は母親。

 

だったら、真っ先に、父親が娘を殺して行方を眩ませたと疑われるだろうに。

母親を疑う者はいないだろうに。

これがジェンダー・バイアスか。

モンティホール問題の整理

山形浩生モンティホール問題の記事を書いている。

 

cruel.hatenablog.com

 

東大卒の山形先生がこんな初歩的なことで躓いているのが驚きなんだが……。

これを読んでもやもやするところがあったので、自分の頭の整理を兼ねて書いてみよう。

 

まずモンティホール問題とは何か。そのまま引用する。

モンティ・ホール問題

が、それはさておき、採りあげられている話の中に、あの有名なモンティ・ホール問題があるのだ。みんな知ってると思うけど、基本はドアが三つあって、一つは当たり。二つははずれだ。参加者はどれかドアを選んで、当たりなら賞品がもらえる。でも、そこにひねりがある。

 

モンティ・ホール問題

 

さて、あなたは選択を変えるべきか? みんなご存じだと思うけれど、答は、選択を変えるのが正解。

 

山形氏はこの元の問題の前提を読み飛ばしてるせいで混乱してるのではないか。

なので、前提を洗い出して、くどいくらいに明文化してみよう。

 

1. 司会者は当たりのドアを知っている

2. 司会者は絶対に選びなおすチャンスを出す

3. 司会者は絶対にドアを一枚開ける

4. 司会者は絶対に当たりのドアは開けない

5. 司会者は絶対に、参加者が最初に選んだドア以外の、残りの二枚のドアのうち、外れのドアを開ける(どちらも外れならランダムに)

言い替えれば、(そのドアが当たりでも外れでも)司会者は絶対に参加者が選んだドアは開けない

6. 参加者は上の条件すべてを知っているが、勿論当たりは知らない

 

こんなところだろうか。

で、山形氏は三枚のドアで参加者が二人だった場合どうなるか、という議論をする。

しばらく議論をトレースしてみよう。

とりあえず、簡単のため、二人は絶対に別のドアを選ぶものとする。

すると、山形氏とハギーワギーが二人とも最初の選択で外れのドアを引く可能性がある。

その場合、残りのドアは当然当たりだから、4. に抵触するので司会者はそれを開けられない。

しかし、ドアを開けないなら 3. に違反することになる。

 

上の 6 つの条件はモンティホール問題なら必ず満たさねばならない条件なので、

山形氏が持ち出してきた改変版はモンティホール問題ではない。

この偽物を真正のモンティホール問題と一緒くたにして考えてるから混乱してるのではないか。

ちなみに、ドアを 100 枚に増やす場合は 6 つの条件を満たしているので真正のモンティホール問題。

 

 

 

そもそもモンティホール問題がなぜ間違えられやすいかと言うと、事前確率がどうこうという難しい話もあるが、それ以前に、最初に自分で選んだドアは、気まぐれにせよ、「オレがオレの自由意志で選んだんだ」感がついて、変えにくくなるからではないか。

 

例えば、参加者の最初の選択が、司会者から渡された 1 個のサイコロを振って、

1 か 2 が出れば A のドア、3 か 4 が出れば B のドア、5 か 6 が出れば C のドアを選んでください、というルールだったら、正解にたどり着く人(選択を変える人)は、ちょっと増えるんじゃないかな。

 

 

あと、どうしても納得できないなら、誰か一人に付き合ってもらって実際に 100 枚ドアバージョンをやってみればいんじゃないでしょうか。実際のドアを用意する必要はなくて、ノートに数字を書いて、山形さんが参加者になって、かつ、司会者のオファーをすべて受ける(選択を変える)ようにして 10 戦やれば、2 問以上外すことはまずないと思います。

プーチンのネタ元

今のウクライナ戦争関連で、お昼のワイドショーにコメンテーターとして出たりしてる廣瀬陽子が、講談社現代新書から『ハイブリッド戦争』という本を出してる。

そこにこういう記述がある。

[]内は引用者による補足。

 

なお、[プーチンのブレーンとされるアレクサンドル・]ドゥーギンの議論では、国の大小、存在価値の有無によって解体すべきか否かを判断するというような持論が展開されるが、そのような議論は、現代の国際社会においては非現実的であり、あくまでもドゥーギンの議論であって事実を論じているわけではないことをご理解いただきたい。

 

いま読み返すと乾いた笑いしか出てこないですね。

ミアシャイマー先生……

伊藤隆太の『進化政治学と国際政治理論』を図書館で借りて読んだ。

そこにミアシャイマーの『大国政治の悲劇』からの引用がある。日本の対米開戦についてのコメントだ。元の本を取り寄せるのが面倒なので孫引きする(読んでないわけではない)

 

「日本人が愚かだったというのも正しくない……彼らは信じられないほど危険な賭けに打って出た」のだ

(『進化政治学と』194 頁)

 

これ微妙な文章だよね。

「信じられないほど危険な賭けに打って出る」ような人物とはどういう人物なのか?

愚かな人物に決まってるだろwww

 

ミーちゃんは自分で書いてて不安に思わなかったんですかね。

大学の学部生どころか中学生でも突っ込める文章じゃん。

CA のイメージ

いきなり引用する

 

** ルーシー事件によって、客室乗務員へのイメージや立場が国によって異なることがわかった。イギリスでは、客室乗務員は ”空飛ぶウェイトレス” などと揶揄され、憧れとともに常に侮蔑がつき纏う職業である。一方の日本では、スチュワーデスは ”空飛ぶエリート” であり、魅力的で洗練された女性だけが就くことのできる象徴的な仕事だった。一九八〇年代後半のバブル時代、客室乗務員の人気は絶頂を迎え、多くの人気歌手や力士がスチュワーデスと結婚した。<英国航空>の仕事を辞めて六本木のホステスに転身するというルーシーの行動は、多くの日本人にとって解せないものであり、きわめて不審な行動でもあった。 

 

リチャード・ロイド・パリー『黒い迷宮』(早川書房)241 頁の注より

 

はてブでは、日本人は CA を侮っている、欧米ではもっと敬意を払われている存在だ、みたいな論調をちょくちょく見るんだけど、嘘だったんだなと。

欧米の方が侮られていたんですね。

 

ちなみに、本書はルーシー・ブラックマン事件について英国人ライターが何年もかけて調べたものをまとめた分厚い本だけど、特に「驚きの新事実」は無いので、物好き以外は読まなくていいと思います。